目が見えなくなるセルマと、声が出せなくなるわたし。

それにはっきりと襲われた一番最初の記憶は、14歳の秋。

居心地のよくないクラスで、気の強い子たちに囲まれて、文化祭で製作する映画の配役を決めていた。

 

教室の中はがやがやとしていて、お互いの声を聞くためにだんだん小さくなっていく輪から、背の小さい私はいつの間にか弾かれてしまう。

 

 

「あ、、まって、私もいるよ」

 

声を発してみるも、誰にも届かず、次の瞬間ーー

 

 

 

金縛りにあったように、それ以上、声が出なくなった。

 

 

そのあとのことはあんまり覚えていない。

 

***

 

「吃音」という障害のことを知ったのは、22歳の春。

たまたま見ていたドラマの主人公が私の父と同じような話し方をしていることに気づき、それから、私自身もそれだと気づくまでにそう時間はかからなかった。

 

そして24の冬、なんでもないことのように母から真実を告げられ、ああ、私はやっぱり普通じゃなかったんだな、と、納得したような、できないような複雑な気持ちのまま、25になった今でも現れるその症状に心の整理はついていない。

 

***

 

さて。

昨日、会社の先輩からいくつかの映画のタイトルを教えてもらった。

私はひとりで映画を観るということをあまりしないのだけれど、そういえば解約しようと思って忘れていたU-NEXTで、教えてもらった映画の一つ『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を検索してみた。

 

どんな内容なのか知らずに再生してみると、重厚で、だけど広大な景色が浮かぶ前奏曲に耳を奪われ、それからMy Favorite Thingsの稽古に励む主人公セルマに目が離せなくなくなっていった。

 

裕福ではないけど穏やかに暮らす母と子の物語かと思っていたら…

強く印象に残ったセルマの台詞。

 

「私が悪いんだもの 最初からわかってたの 私の目が遺伝すると なのに産んだのよ」

 

 

どきっとした。

自分の心の奥を突かれたようだった。

 

***

 

自分の目はいつか失明すると、そしてそれは遺伝によるものだと知っていながら息子ジーンを産んだセルマに、私は未来の自分を重ねずにはいられなかった。

 

私のもつ吃音という障害。原因等は未だ解明されていないらしいのだけれど、7割が遺伝だと言われている。

実際のところ私の父がそうで、私以外にもそうかな?と思う兄弟がいる。

 

もともと私たち兄弟には、これも父親譲りのアレルギー症状があり、私は運良く完治したものの、大人になった今でも普通の食生活を送ることができない兄弟もいる。

 

 

いつか、もし私が子どもを産んだとしたら、その子にも私や兄弟のような苦しい思いをさせてしまうのだろうか。

私はその子をフォローすることができるのだろうか。

 

息子の幸せを一心に願うセルマのように、笑顔で強く生きていけるだろうか。

 

***

 

物語の終盤、自分の目が遺伝するとわかっていながらなぜジーンを産んだのかと訊かれたセルマは、「赤ちゃんを抱きたかったの この腕に」と言う。

劇中では描写がなかったけれど、真実を知ったジーンの心情が一番気になるところだ。

 

 

私は平和な日本に生まれ、安定した収入を稼ぐ親がいて、そこそこ恵まれている方なのだと思う。

けれど、社会人になっても心の不調に悩まされる自分や、そんな自分を産んだ両親との付き合い方がイマイチわからない。

 

それでも私は、いつか誰かと幸せな家庭を築くというありきたりな夢を諦めなくてもいいだろうか。

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